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 鶴岡八幡宮の大銀杏が根こそぎ倒れたと言う。
 衝撃的なニュース。
 では見に行かなければということで鎌倉に出かけようと思ったんだけれども、何しろ今は梅が終わって桜が始まる前のシーズンオフ。
 せっかくなので、なかなか足の向かない名越から材木座あたりを回って・・・ということで、鎌倉散歩です。





出発は逗子駅

 名越から、材木座めぐりと言うことで、今日は逗子からの散歩はじめ。少し早めに自宅を出ます。

 横浜駅前から、神大寺なんて言うところに引っ越したため、横浜の駅までバスで出なければならず、少し時間に余裕を持たせたら早くつきすぎた。
 このあたりの時間の読み方が難しい。


 8:35分。早くつきすぎた横浜の街は、悪臭がきつい。
 浮浪者か、夕べの飲食店から出たゴミの臭いなのだろうか?
 改めて知る横浜の臭い。
 やがてこの臭いが雑踏によって空気に混ぜられるのだろう。
 休日、目覚める前の横浜を改めて実感させられた。


 8:43分。横浜発の久里浜行横須賀線に乗車。
 なんとか座れてラッキー。
 暖かく、天気もいいというのに出かける人は少ないのかな。
 梅が終わって桜に変わる間の時期だからか、それとも花粉のせいかな?

 大船駅で立ち食いそばでも食べようかとも思ったんだけれども、運良く座れてしまったため、このまま。
 鎌倉駅でほとんどのお客が降りた。
 鎌倉の次の駅なのに、逗子は観光にはマイナーなのかもしれない。

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 9:15分逗子駅着。
 9:50分、オフィスの友人と待ち合わせなのでまだだいぶ時間がある。

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 ということで、とりあえず、駅構内の立ち食い蕎麦屋さんで腹ごしらえ。
 その詳しい模様はこちらから。
 「さがみ茶屋 逗子店 かき揚げ天玉そば」


 
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 腹は膨れたけれども、それでもまだ時間があるので、駅前でコーヒーを飲みながら時間をつぶす。
 観光に訪れた先で、結構こういう時間っていい感じだ。


 やがて、時間通りに友人到着。

 葉山、長者ヶ崎行きのバスにお年寄りのハイカーがたくさん乗って行っていた。この時期、観光の目玉は葉山なのか?

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 駅前のバスロータリー6番乗り場から、10:01分発の亀ケ岡行きのバスに乗車。

 亀ヶ岡行きのバスは小型の街の利用のバス。
 逗子から新逗子を回って、再び駅方面に戻って、後はJR沿いに亀ヶ岡団地へ向かうコース。
 駅前の繁華街は車が多い。昔ながらの街並みの逗子。バイパスとか気の利いた物を作らなかったのは行政の怠慢かな。
 途中、結構バスを利用する人が多い。乗って降り、降りては乗る。バスは完全に市民の足だ。
 バスにゆられて15分程度。法性寺前で下車です。
 



名越の切通 取り付きは 法性寺

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 小坪のトンネルの手前、法性寺前バス停では我々の他にもう一名が下車。
 地元の人みたい。
 バス停から、横須賀線をまたぐ踏切を超えると、その左手が法性寺です。

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 法性寺は日蓮宗のお寺。
 鎌倉で、立正安国論を執権に提出した日蓮には迫害が続きます。
 日蓮宗では、日蓮が受けた迫害のことを法難と表現するそうで、そういう面は立派な心構えです。
 その日蓮が、松葉ヶ谷の法難で焼き討ちにあい、後で訪れる安国論寺辺りから逃げる途中、白い三匹の猿が山の岩穴まで道案内をし食べ物まで運んだのだとか。
 後に日蓮は、弟子にその岩穴のあったところにお寺を建てさせた。
 それが、妙法寺だそうです。

 だから、猿畠山法性寺と成っているのだとか。

 山門はなかなか立派で、看板を白いサルが抱えているのは、故事に習ってのことだろう。
 気が効いた演出です。

 このお寺の山門が名越の切通への入り口になっている。
 その切通の向こう側には、日蓮の安国論寺があるということは、日蓮は名越の切通沿いにあちら側からこちら側に逃げてきたのか。今思うとなんとも歴史を感じます。


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 山門から坂道を上がると本堂が(多分)。
 何って変哲のない普通の寺院風。どちらかというと近代的ですらある。
 この本堂からはあまり歴史を感じられなかったんだけれども、裏に上ってみた甍の重なりは流石に見事でした。


 そのまま、これは登山かハイキングかというような坂道を上がる。
 名越の切通こちら→ などと書かれた看板が所々にあってなかなか親切。

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 やがてかなりの山道を登って、法性寺の広さを実感しだした頃、お堂が姿を見せます。
 これが、日蓮を祀る祖師堂で、この佇まいの立派さに圧倒させられる。
 その奥に開いた岩穴に日蓮が迫害から隠れていたのだとか。
 今は、木戸がしっかり閉まった岩穴。
 鎌倉にはどこにでもありそうなヤグラなのだが、どこにでもありそうなヤグラの1つ1つに歴史があるって言うのも鎌倉らしいところです。

 その先に、法性寺の墓地が続くのですが、ここまで徒歩でお墓参りをするとは、なかなか檀家の人は大変だろうなぁ。




名越の切通を歩く

 そんな墓地の分かりにくい細道を入ると、本格的に名越の切通の始まりです。
 途中、なんだか悪いことをしているとしか思えないような大きい家の脇を通って。森の中へ中へと踏み入れて行く。
 何しろ坂道が辛い。

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 断崖の尾根伝いを行くと、まんだら堂跡へ。
 ここは通年見物禁止。
 秋の一時、一般公開される史跡です。
 春のこの日は通行止め。
 何でも、無数のヤグラ群があるのだとか。今もって実際の目で見たことはありません。

 途中、なんだか香ばしい匂いがしてきたなぁと思ったら、火葬場だった。
 香ばしい匂いだなぁって思ったことを不謹慎だと思いつつも、やっぱりこういったものは、現代も隠れた谷あいに造るものなのかと思うと少し複雑な心境になる。
 葬送の人はいなさそうなので、香ばしい匂いは、釜への火入れだったのだろうか、少しは罪悪感が薄れた気がする。

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 しばらく進む。
 安国論寺への分かれ道を名越側に進むと、旧来の形をよく残す名越の切通に出ることが出来た。

 大きく岩を削った細い道。
 まさに切通。と言った感じ。

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 こんな細道を当時はどう行き来していたのか?
 馬やかごはこの細いアップダウンを超えることが出来たのだろうか?

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 どことなくインディー・ジョーンズのワンシーンにでも遭遇したような。
 人も人工物も一切ない。当時をしのぐにはもってこいの場所でしょう。

 
 このまま進むと亀ヶ岡へ出るという道案内を見たので、安国論寺方面への分かれ道まで戻る。
 そのまま、一気に坂を下ると横須賀線が。
 そうか、ここは横須賀線がトンネルで抜けるところだったのか。
 ということは、その向こうの県道もお化けトンネルと称して、名越の切通の下を通っているはず。

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 通り過ぎる横須賀線を見ながら、鎌倉時代から、現代に強引に連れ戻された気分です。




安国論寺

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 切通から横須賀線沿いまで降りる。
 名越の切通の突破に30分程度かかった。見るもの全てに感動するタイプなので、普通の人よりも余分に時間がかかっているかもしれないけれども、まぁだいたいこんなものか。
 鎌倉時代の攻防の要所、感動もひとしおです。

 一度横須賀線を踏切で海側にわたり、県道まで線路沿いを歩く。
 県道で踏切を今度は北側に超え、細道に左に自然に入る。
 その道を100mほど進むと安国論寺の山門が見えてきます。

 最初の踏切から10分くらい。
 県道は車の往来が激しいので注意です。


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 往来の激しい県道から、100m程斜めに入っただけなのに、安国論寺の山門は静かな佇まい。

 受付で入山料100円を無人の入れ物へ。
 パンフレットなども頂く。

 
 安国論寺は当然ながら日蓮宗の寺院。
 日蓮の鎌倉での布教の地であっ松葉ヶ谷草庵跡とされているお寺。
 日蓮の弟子の日朗が、立正安国論を出筆した岩窟にお寺を立てたのが始まりだとか。
 横須賀線沿いの小高い山1つが寺院のため、敷地は広大です。

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 山門を入り、手水舎を過ぎると本堂。
 本堂は立派な佇まい。
 
 この本堂の奥に、元経団連会長の土光敏夫氏の墓があるそうだけれども、今日はパス。
 生前は、質素倹約の土光などといわれていたけれども、こんなところにお墓を持つなんて、なんだか少し興ざめかな。
 やっぱり貯めていたってことか。
 それとも、質素倹約に務めたからこそたまったってことだろうか?
 どちらにしても、一般市民とはどこか違いそうだ。

 安国論寺は、鎌倉のメイン観光からかなり外れた場所にあるのだが、それでも、ポツポツと訪れる人がいる。
 やっぱり、立正安国論を出筆した場所だからだろう。歴史は重い。


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 本堂の奥に進むと日朗上人荼毘所が。
 緑の中に、すっとした佇まいの庵。
 
 日朗は日蓮の弟子。
 法難多い日蓮につき、日蓮宗の普及に貢献。
 彼の亡くなった後には、今は池上本門寺が立てられている。
 その彼が、死後、出家断髪を行った松葉ガ谷で荼毘に付して欲しいと遺言。
 この荼毘所にて、遺言通り荼毘に付されたのだとか。

 安国論寺が経つ前の松葉ガ谷庵跡は、以前日蓮が焼き討ちにあったのが1260年。
 日朗がなくなったのが、1320年。78歳。法難の時は18歳だったはず。
 出家はそれ以前?。以降、一生を日蓮宗の布教にあてたってこと。
 最初の頃は迫害の的だったはず。
 土牢に入れられたり、流された日蓮のところに通ったり。すごい人生だ。

 日朗がどのような人物かははわらないけれども、このお堂を見ていると、きっとスラッとした気持ちの良い人だったと思うな。


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 そのまま境内の奥へ。
 急な石の階段を登ったところに南面窟が。
 ここは、松葉ガ谷の法難の時、日蓮がひとまず難を逃れたところ。
 命からがらだったのか?この南面窟に猿に導かれたといわれているけれども、この下の庵にいたのなら、ここにこのような穴があることくらい本人が一番わかっていたはずなのでは。何も、猿に導かれなくても、一目散にここに逃げ込んだんだと思うけれども。
 それじゃ伝説にならないか。

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 そのまま巡礼路と呼ばれている崖っぷちの山道を本堂方面へ。
 横須賀線がすぐ脇を通過する。


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 そのまま進むと富士見台という見晴らしのいいところに出る。

 この富士見台からは、日蓮が富士山に向かって題目を唱えていたのだとか。
 「南無妙法蓮華経」
 今日は富士山は見えなかったけれども、材木座の海が一望。

 風が強く、展望台に居るのも大変だったけれども、日蓮に対する当時のアゲインストはこんなものではなかったはずだ。

 でも、富士見台には題目を唱えて上がったのに、南面窟には、猿に導かれて隠れなければならないって、やっぱりなんだかおかしい話だ。
 
 伝説って物は大概にしてご都合主義だ。




驚愕 長勝寺の像

 安国論寺から、横須賀線の踏切まで戻る。
 踏切をわたると、道の向こう側に長勝寺の山門が見えてくる。

 安国論寺の富士見台から、本堂の屋根がすぐそこに見えたお寺です。


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 山門は立派で、谷戸の奥へとお寺が伸びて良く雰囲気が伝わってくるのですが、門のすぐ手前が駐車場のため、どうしても車が気になる。
 そんな山門をくぐって境内へ。

 
 長勝寺は、日蓮に帰依した石井長勝が、自宅の邸宅に小庵を建て、伊豆配流から戻った日蓮に寄進したのが始まりだとか。
 立正安国論はここで書いたのではといわれているところでもあります。

 
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 境内でまず驚かされるのが、巨大な日蓮像。
 なんでも、高村光雲の作なんだとか。上野の西郷さんと兄弟ってことになるのかな?

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 西郷さんに比べて、日蓮の方がだいぶ着ているものが裕福です。
 題字の署名が東郷平八郎だった。それも驚き。
 お寺の由緒は思ったより正しいみたいです。

 今日は法事の家が何軒かあるみたいで、喪服を着た数組の人達が、お墓の方へ登っていく。

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 お寺と檀家という関係がきちんと成り立っているみたい。
 でも、長勝寺は、本当は厳しい修行のお寺なのだとか。
 日蓮の像の手前には、修行僧達が、水浴びの行を行う施設が設置されていますから。




ミモザ見事な来迎寺

 長勝寺から横須賀線沿いに少し歩くと本堂の裏手辺りで二股に道が分かれます。
 横須賀線とはここでお別れ。少し心もとない細道へと入ります。

 そのまま進んで、磯部工務店さん前を左折。
 左折した道が、材木座寺院巡りのメインルート。
 この道沿いに、歴史のお寺や神社が並んでいる。
 今でこそただの路地としか思えませんが、鎌倉時代などはきっと立派な道だったことでしょう。


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 しばらく進むと来迎寺。
 この時期、山門前に植えられた目にも鮮やかなミモザが迎えてくれます。
 来る人を迎える寺にミモザの木。
 なんとも粋なお寺です。

 近所の人家に埋もれそうな山門ですが、このミモザのおかげで存在感は抜群です。


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 何でもこの場所は、源頼朝が衣笠城で戦死した、三浦義明の菩提をともらうために建立したお寺跡なのだそう。
 今も奔走の脇には、三浦義明と彼の三男、多々良三郎義春の墓の五輪塔がしっかりと。

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 また、お寺の裏には、三浦一族の小さい五輪塔がたくさん並んでいる。
 その数に少し感動。

 なんとなく鎌倉時代に引き戻されそう。

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 頼朝の挙兵に呼応した三浦一族も、結局鎌倉時代も進むと、北条一族に滅ぼされる運命。
 その北条氏だって、新田義貞や足利尊氏らに・・・。
 そしてその彼らだって・・・・輪廻は回るです。




五所神社

 来迎寺を出て、すぐそこは五所神社への参道です。

 五所神社は材木座界隈の総鎮守の立場だそう。

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 確かに長い参道は少し立派そう。

 三島神社、諏訪神社、見目神社、金比羅神社、八雲神社を合祀して五所神社。


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 合資した神社は、お歴々と言った感じですが、五所神社の社は普通の神社。

 社よりも、境内に広がる石仏(神社だから、仏じゃないか)や、3基も保存されているお神輿が立派でした。
 
 地域の氏神様だから、歴史とかそういう世界じゃないのだろう。

 しかし、材木座の歴史の銀座通りに面している辺りは、さすがです。

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ここもミモザの実相寺

 五所神社から、目と鼻の先、門山にこじんまりとミモザが咲く実相寺です。

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 本堂も小ぢんまりとしたこのお寺、曽我物語の敵役・工藤祐経の屋敷跡だと言い伝えられています。


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 物語的には、工藤祐経は頼朝の寵臣で有ったとされているのだけれども、それにしてはこのような場所に屋敷とはこれいかに。
 当然ながら、当時京急バスもなかっただろうに。
 幕府から離れすぎてはいないだろうか。


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 この場所にお寺を開いたのは、日蓮の弟子の日昭。
 日昭の母親は工藤祐経の娘だったのだとか。
 なんとも世の中は狭いものです。


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 実相寺では、流石に参拝の人影もない。

 まぁ、あんまり有名ではないと言ってしまうとそれまでですが。




蕎麦 梵蔵

 九品寺の前まで来て、空腹。何しろ13時近い時間。
 何でも最近このあたりに旨い蕎麦屋が出来たと言うことで、蕎麦 梵蔵に訪れた。

 材木座なんていうところで営業するには惜しいほどのウマさ。

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 その詳しい模様は、こちらから。
 「鎌倉材木座 梵蔵で食べる落ち着いた蕎麦」




九品寺

 蕎麦 梵蔵でうまい蕎麦を食べて、腹も膨れた。
 多少のビールで気分もいい。

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 店を出て信号機まで戻ると九品寺です。
 住宅街の小じんまりとしたお寺で、門の周りも工事中だったため、佇まいと言う点では今ひとつです。
 
 このお寺は、鎌倉に攻め込んだ新田義貞が北条高時や戦火に焼かれた人々の冥福のために建立したのだとか。
 
 材木座のこのあたりは、新田義貞が攻め入ったときに火を放ち焼き払ったそうだ。

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 稲村ガ崎から攻め込んだのは有名だけれども、由比ガ浜を通り越して、材木座側に回り込んだってこと?
 なんだか不自然だけれども、今となっては・・・。北条氏が名越から三浦に逃げるのを防ぐためだったのか?

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 静かに立つ九品寺。
 人々の冥福は実現されているみたいです。
 



補陀洛寺

 九品寺前から、海へ向かう道は急に商店の佇まい。
 魚屋あり、酒屋あり。海からの潮風に鎌倉を感じます。

 材木座のバス停付近から、道は、海に出る道と、バスが通る左へ折れる道に分かれる。
 バス通り側を曲がってすぐさまU字にターンしてしばらく歩くと補陀洛寺です。

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 見たところ、何って言うお寺ではないのですが、門前の石柱には「源頼朝公御祈願所 補陀洛寺」と読めます。
 何でも、平家滅亡の折の総大将平宗盛の「赤旗」が保存されているそう。平家は決して共産主義者ではないですが。

 開山は文覚。
 京都で後白河天皇の怒りを買い、伊豆に流されたのが縁で源頼朝と知り合い、旗揚げを勧めたとも言われている。
 開基はよって源頼朝。

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 かなり歴史のあるお寺ですが、新田義貞の焼き討ちや地震などでなんども再建されたよう。
 そのためかどうか、訪れる人もなく、ひっそりと建っていました。
 



巨大山門 光明寺

 補陀洛寺から今一度バス通りに戻る。
 東に少し行くと、立派な山門が見えてくる。

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 天照山光明寺。浄土宗の関東大本山だそうです。


 鎌倉幕府4代執権、北条経時が浄土宗の然阿良忠を開山として佐助が谷に開創した蓮華寺が前身なのだとか。
 江戸時代には、徳川家康によって浄土宗関東十八檀林の第一位のお寺として栄えたそう。
 何しろ、浄土宗学問所第一位ですから。

 その立派さは、山門を見れば理解出来ると言うもの。


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 鎌倉の山門といえば、円覚寺や建長寺のものが有名だけれども、光明寺の門はそれをしのぐほど。
 何しろ立派です。

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 この日は、たまたま、山門に上がることが出来たんですけれども、材木座と言う土地柄、山門からの景観は京都の南禅寺にはかなわないかもしれないけれども、海風の気持ちよさは京都では味わうことができまい。

 山門は立派なんだけれども、どうも重厚感を感じられないのは、この潮風のせいではないだろうか?
 門全体に塩が乗ってしまって、少し白んでしまっているから。
 
 ただ、圧倒的に巨大な門と歴史から受ける重圧には、圧倒される。
 でも、この門、鶴岡八幡宮からの移築といわれているのだとか。
 スゲーな、鎌倉。


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 巨大な門を抜け、本堂へ。
 
 山門もそうですが、本堂周りも参拝の人が多い。

 浄土宗の大本山だからなのだろうけれども、門徒がこんなに居るなんて驚きです。
 だって、今まで歩いてきた材木座界隈の寺院で、我々以外に参拝の人がいたなんていうところは数えるほどだった。

 
 参拝の人が大勢いる本堂に上がって、お参りもそこそこに庭園散策。

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 本堂の向かって左側には、池を配した立派なお庭が。
 この庭は、小堀遠州作なのだとか。
 小堀遠州は、備中高松藩の藩主、後の近江小室藩初代藩主だそう。遠州というのは、駿府城の普請奉行だったからだとか。
 江戸時代に造園で活躍。実際日本中をうろうろしていると、彼が作ったといわれている庭によく出くわす。

 たしか伏見の奉行所跡にも彼の庭があった。本当かどうかは別にして。


 光明寺も江戸時代には結構隆盛を誇ったようなので、この庭を彼が作ったといわれると、あながち否定はできない気がする。

 庭自体は浄土宗庭園という様式なのだそう。記主庭園とも呼ばれているらしい。

 蓮池に鯉が泳ぐ。
 ゆったりとした気分にさせられる。

 ただ、真新しい建築物がちょっと不似合いだったけれども。


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 本堂の右側は、枯山水。
 三尊五祖の庭園と名付けられている。

 三尊五祖とは、釈尊(印度)善導(中国)法然・鎮西・記主(日本)という浄土宗五大祖師を石で示した庭園。
 塀が低いので、周囲の借景が枯山水をぼやかすけれども、この庭を見物する人が多い。

 なぜかというと、見物の廊下沿いに椅子が設定され、いい具合に足が伸ばせるから。

 いい感じの休憩場所になっていて、底に庭園がある。
 庭園を見て休憩するのか、休憩する場所に庭園があるのか。
 庭園や、宗教、美術品なんて、そんなもんなのかもしれない。

 
 それより、光明寺の本堂裏には、内藤家の墓という史跡があるはずなんだけれども、本日は通行止めになっていた。
 なんで?

 本殿の横、枯山水庭園の奥、幼稚園の裏側にあるはずなんだけれども・・・って、あれ、幼稚園。
 山門の脇にあった、お寺の境内案内に幼稚園は乗っていなかった。
 ちょうど幼稚園のある場所が、内藤家の墓ということになっていたはず。

 この幼稚園はここにあっていいものなのか?
 お寺の小銭稼ぎのために史跡が追いやられているのか?

 そうだとすると問題だけれども、この苦情をどこにも持っていくことが出来ない。
 なんとなく歯がゆい。
 
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おしまい

 光明寺の内藤家の墓を見ることが出来なかったのは残念だったが、名越から、材木座界隈の散歩。
 山の緑の森林浴に始まって、最後は汐風香る海の風景まで。
 何となく、これが昔ながらの鎌倉って感じの雰囲気に充実。


 光明寺の山門を出ると、すぐバスが来たので、鎌倉駅までバスにゆられて戻ることに。
 
 その後は、鶴岡八幡宮に先日倒れてしまった、御神木の大銀杏を見に行きました。
 その模様は、こちらから。
 「鶴岡八幡宮 御神木 大銀杏 倒れる」



 風が強いけれども、お天気もよく、少し気温が高すぎる感じ。歩いいていると汗が吹き出した。
 楽しく回った鎌倉散歩だったけれども、八幡宮の大銀杏の光景には胸が痛んだ。

 千年を越すといわれる樹齢の巨木。
 何もオイラの生きている時に・・・。
 
 次に見事な紅葉が見られるのは1000年後か・・・・。
 元気で見られるかな・・・無いな。


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