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2008.10.22
大和ミュージアムの巨大戦艦大和 -08.07.06 10:20-呉市海事歴史科学館が大和ミュージアムと呼ばれるのはこの展示のためだろう。
巨大な戦艦大和の模型が、展示室いっぱいに展示されています。
7万トンに達する排水量、263mに及ぶ全長。38.9mもの船幅。27ノットを越える速力。
そんな大和の10分の1模型がここに。
大迫力です。
まずはすげー。そして、おお。次が良く出来ているなぁ。
戦争は大嫌いで、そのための兵器を毛嫌いしているオイラでは有りますが、この迫力には息をのみます。
本物はこの10倍か・・・。
実際、太平洋戦争のときって、大和型の戦艦の建造は極秘事項で、国民には知らされていなかったそうです。
よって、その頃の国民の一番人気は、長門。
連合艦隊の旗艦は長門が一般的な話だったそうです。
極秘裏の戦艦大和は、その後すぐ大和の欠点を改修した武蔵の進水によって、実際の連合艦隊旗艦だった期間はきわめて短かったとか。
しかし、開戦直後の1941年12月の就役は太平洋戦争のためだけに存在した戦艦だったと言う事でしょう。
しかし、活躍する場を与えられる事もなく、菊水作戦にて坊ノ岬沖で撃沈したのが1945年4月。
巨大で長い船体の短い命でした。
今こうして10分の1模型を前に、船員の無念を考える。
当時、前線に出撃する事もなく、冷暖房完備であった大和型の戦艦への乗船は羨望だったとか。
ヤマトホテルと揶揄されていたというのもおかしな話です。
進め一億火の玉だなどと、調子のいいキャッチに乗せられて、鹿児島沖での撃沈。
航空攻撃には手も足も出ず、ただやられ放題だったとか。
終戦間近の日本軍はどこか頭がおかしいのではないのかと思うほど、人の命を粗末にします。
行き過ぎた軍国主義の象徴。
大和型戦艦の存在を国民が実際知るのは戦争終了後。
そんな戦艦がなぜこれほど人気があるのか?よくわかりません。
松本零士のおかげ?悲劇の撃沈の歴史?
理由は別にして、戦艦大和の人気はぴか一です。
呉の製造だからかな?長崎の武蔵とはどこか違うような気がする。
特攻と撃沈の繰り返しの終戦間近の日本軍。
転がりだすと誰も停めかねる日本人の気質。
彼らの行為によって日本が守られたとは思わないけれども、そんな彼らの行動から何かを学ばないと、申し訳ないような気はします。
じゃ、どうすれば良いのか?
どうすれば良いんだろう?
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