上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
にほんブログ村 写真ブログ スナップ写真へ
にほんブログ村 ←ブログランキングに参加しています。1日1回、1クリックの応援お願いします。orz

110521_125835_関ヶ原_徳川家康最後の陣地跡


 戦がたけなわとなると、家康は本営を桃配山から笹尾山の東南1キロのこの地点に進出させました。ここで、家康は陣頭指揮に当たるとともに、戦が終ると、部下の取ってきた首を実験しています。周囲の土塁や中央の高台は、天保12年(1841)に幕府の命により、この地の領主竹中家が築いたものです。 
 ー関ヶ原町ー




 近い、近い、近い、近い、近い。

 桃配り山から、戦いの、こんな近くまで進出してきた家康。

 開戦まもなく、家康は桃配り山を降りて最前線に陣を引いたらしいのですが、戦いの場所に明らかに近すぎやしないだろうか?

 この場所に家康がいたのでは、東軍を全体的に押し上げたと考えられるけれども、そうすると、戦いの場所って物凄い狭いことにならないかな?

 そもそも、何万人もがぞろぞろと、こんなところまで移動してくるって・・・。
 やっぱり尋常じゃないよなぁ。

 
110521_130112_関ヶ原_徳川家康最後の陣地跡


 結局勝利した東軍は、この場所で敗軍の将の首実検などもしたそう。

 戦いとはそういうものだとはわかっていても、なんとも悲しい。
 そんな感じがします。


 家康の最後の陣地跡は、関ヶ原民俗資料館は目と鼻の先。

 関ヶ原の古戦場周りもこれで最後です。


110521_130245_関ヶ原_徳川家康最後の陣地跡


 話しに聞くのと実際見てまわるのとでは、やっぱり色々と感じることが変わります。
 本当にこんな所で、何万、数十万と言う人間が入り乱れて・・・。

 戦いに関する伝説も含めて、本当かよ。
 と、思わずにいられない。

 知識を経験に変えるには、もってこいの関ヶ原散策でした。




にほんブログ村 写真ブログ スナップ写真へ
にほんブログ村 ←ブログランキングに参加しています。1日1回、1クリックの応援お願いします。orz

Comment:0 | TrackBack:0
Secret

TrackBackURL
→http://yokohamanote.blog101.fc2.com/tb.php/1616-5cdf8467
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。