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110521_103314_関ヶ原_島津義弘陣地跡


 関ヶ原。
 西軍は島津義弘陣地の跡です。




 石田三成の陣地跡から、下り坂をいい具合に自転車で下ってくると神明神社が現れます。
 細い道の辻々に島津義弘陣地跡の目印が建っているので迷うことはないでしょう。
 関ヶ原の合戦城跡、観光客には優しい場所です。


110521_103839_関ヶ原_島津義弘陣地跡


 神明神社の裏手に、島津義久陣地跡の巨大な石碑が。
 
 当然、合戦時にはこんな石碑はあるはずもなく、石碑の揮毫は公爵・島津忠重による物。

 神社の裏手という立地もあってか、鬱蒼の森の中にある島津の陣地跡です。


110521_103452_関ヶ原_島津義弘陣地跡


 島津といえば、合戦中傍観者を決め込んで、最後は敵陣突破で鹿児島まで逃げ帰ったことで有名なんだけれども、来て見て改めて不信感を煽られた。


110521_103116_関ヶ原_島津義弘陣地跡


 何しろ、島津の陣地って、西軍のどこの陣地よりも東軍に対して出っ張ってるんです。

 すぐ横は石田三成の陣地であり、小西行長の陣地であり。
 どちらも激戦で知られている場所。
 島津だけがどうして傍観者でいられたのか?

 江戸時代、明治時代に作られた偽の伝説?
 
 こんな狭いところに十万人を越す人間がウロウロしていて、大して小高くもない平地において傍観者なんてものが存在できたであろうか?


110521_103651_関ヶ原_島津義弘陣地跡


 まぁ、歴史の書がそうだというのなら、別にTPP交渉や、円高経済、私の生活に何か影響をあたえるわけでもないのでどちらでもいいけれども・・・。

 大体、島津義久なんて、別に藩主様でもないわけで、そもそも、1000人程度しか兵隊もいなかったわけだし・・・。


110521_103729_関ヶ原_島津義弘陣地跡


 そう考えると、ここが本当に島津の陣地だったのか・・・思えば思うほど不思議な感じ。

 実際に、来て見て感じた正直な感想です。
 鹿児島の方、すいません。



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