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 岐阜観光に行って来ました!
 その報告です。






 大河ドラマの影響なのかなんなのか、最近、関ヶ原っていう所が観てみたくなって。
 日本最大の合戦の地ですから。

 まずは1日目。
 信長などの足跡をたどったりして、岐阜観光です。


国宝 犬山城

 横浜の自宅を出たのは3時過ぎ。

 寒川の倉見でYASUさんを拾って後はひたすら東名を爆走。
 森山PAで休憩時食べた岡崎純情プリンは珠玉の味。
 よく見たら、岡崎はカクキューの八丁味噌使用!
 そりゃ純情なはずだ。

 高速道路はそこそこ順調で、最初の目的地犬山城の駐車場には、9時前には到着。
 それでも、5時間強の行程です。


 犬山城の駐車場に車を止め、向かうは国宝犬山城。
 生涯3度目の登城かな?


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 木曽川沿いの小高い丘の上に立つ犬山城。
 国宝4城の1つ。

 他の国宝のお城に比べて幾分規模は小さめですが、その雰囲気というか、風格は格別なものがあります。
 まぁ、実際に戦いがあり、取ったり取られたりが繰り返されたお城ですから。
 その苦労がにじみ出ている気がするんです。

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 尾張と岐阜の間にあるお城ですから、戦略的には重要な場所。
 織田氏、豊臣氏と、戦乱をくぐり抜け、江戸時代には尾張藩付家老の成瀬氏が入城。
 これが、ついこの間、2004年まで成瀬氏個人の持ち物だったというから驚き。
 保守も修理もちゃんとしてたんだろうが、現代となっては、戦いよりも大変なことだろう。
 何しろ国宝なんだしね。


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 犬山城は、駐車場が500円、お城見物が500円。
 身体障害者学校の御一行様と一緒になっちゃたので、全然列が先に進まないんだけれども、まぁ、それも楽しみの1つかな。
 こんな所が気になるんだ、そんなところに気づくんだみたいなね。
 純粋にこちらが驚かされたりして。

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 急な梯子をよじ登って、やっとたどり着いた天守閣からの眺めは格別。

 木曽川がとうとうと流れて、その流れを城主気分で堪能できる。

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 張り出したお城の瓦屋根。
 緑の山々。
 いい。極めていい。

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 成瀬殿気分満載です。



青龍山 瑞泉寺

 犬山城から名鉄犬山遊園駅の向こう側。
 モンキーパークの山間にあるのが瑞泉寺です。

 ネットで調べたらいい雰囲気のお寺っぽかったので訪れたのですが・・・。


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 瑞泉寺は臨済宗妙心寺派の寺院。
 室町初期の創建だそうです。

 室町時代の創建といっても、戦国の世には数々の戦火に巻き込まれた犬山城とその城下。
 歴史的な何かはあまり感じません。

 駐車場も狭くてあまり観光向きじゃないかもしれないですね。


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 でも、お寺の雰囲気はかなりいいです。

 巨大な山門と本堂。

 見事な瓦屋根。

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 よく手入れされた庭の緑。

 望む犬山城の美しさ。

 山門は、犬山城のものを移築したのだとか。
 なるほど、立派なはずです。

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 観光のために何って特筆するようなところはないんだけれども、それでいて印象に残る。
 そんな犬山の瑞泉寺でした。
 


ラーメン

 犬山から岐阜へ移動。

 道は混んでいないので、1時間強の行程でした。

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 岐阜城公園の駐車場に車を入れて、まずは腹ごなしということで、公園の休憩所でもある、こまや左介で昼食です。

 こまや左介でのラーメン実食の記事はこちらから。
 「岐阜公園内 こまや左介の烏骨鶏ラーメン」



岐阜公園

 腹は満ちたし・・・ということで、岐阜城公園散策です。

 岐阜公園は、岐阜城がある金華山(稲葉山)周辺を歴史保存しているもの。

 岐阜城といえば、斎藤道三、龍興が居城し、織田信長の天下取りの足がかりとなった所。

 
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 緑が多い公園内、稲葉山山麓。

 新緑が活き活きとして、天下取りの勢いを感じる。

 急峻な稲葉山を見上げると、はるか天空に岐阜城が。

 斎藤氏から奪取した稲葉山城を、織田信長が縄張りをしなおしたのが今の岐阜城なのだそう。

 今でこそ、ロープウェイがそこそこまで届いているけれども、当時は当然人力のみでの建築。
 信長殿、まったく無茶させるよなぁ。

 もっとも、天守閣なるものが登場したのは安土城行こうと言われているので、今見るような見事な天守閣は、信長以降のものってことなのかな?
 だって、鉄筋だったし。


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 ロープウェイが届いているとはいえ、山頂駅から天守閣まではそこそこの登山を覚悟しなければなりません。


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 こんな山道を、戦国武士は行ったり来たりさせられたのだろうか?

 さぞ、足腰が強かったことだろうなぁ。

 何しろ毎日とあっては、往復1050円のロープウェイ代も馬鹿にならない・・・はず。

 最も、信長殿は、山麓の御殿(現在、掘り起こし作業中でした)に暮らしていたのだとか。
 まぁねぇ、生活にならないよなぁ。


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 でも、天守閣から見下ろす景色はさすが天下の名城。

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 眼下に流れる長良川。

 広大な濃尾平野。

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 尾張よりも岐阜に移動したがった信長の気持ちが何となく分かるような気がします。
 が、このあたりの感覚って、今となってはよくわからないんですよね。

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 信長って、1567年に斎藤氏を攻略して、尾張、美濃の二カ国の大名になったら、「天下布武」とか言い出しちゃうわけで、なんだかチョット気が早くない?
 岐阜と愛知の半分を手に入れただけなのに・・・。
 それだけで、天下が手に入ったくらいの気持ちになれる所だったのだろうか?

 まぁ、これだけの平地を手に入れれば、米の種類にこだわらずに、農業試験場の指導に従えば、いくらでも米が取れただろうし・・・。

 

崇福寺 信長の墓

 岐阜城のある岐阜公園から、長良川をわたって岐阜市内へ。

 岐阜公園の駐車場って、自動出車機がついていて、運転手がお金を入れればいいはずなのに、係の人がつきっきりで、運転手からお金をもらって、装置に入れて、お釣りを渡すってことをしていた。
 なんだか効率が悪いなぁとも思ったけれども、これが岐阜なんだと言われると、それはそれでありな気がした。
 お年寄りの働く場所を提供する。
 その場所が、信長の岐阜城だってところがちょっと可笑しいけれども。

 次の目的地は崇福寺。
 なんでも信長の墓があるとか。

 カーナビに打ち込んで調子よく長良川を渡ったまではいいけれども、迷子。
 カーナビ通りでは上手くつかないみたい。まったく、ソニーってば。

 結局、近所と思しきスポーツ公園の駐車場に車を止めて、iPhone頼りに徒歩で寄ることに。
 まぁ、何とかたどり着いたんだけれども、カーナビの電話番号検索ではお寺の裏側に連れてこられていたみたいで、表通りに面した山門は立派なもので駐車場まであるじゃないですか。
 まったくやられたなぁ・・・って感じですよ。


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 崇福寺は、織田信長の菩提寺。
 信長が斎藤氏を滅ぼして、岐阜城に移転し城下に再投資をしたときに、祈願所としたことが始まりだそう。
 
 と言っても、信長自体はそんなに長い間、岐阜にいたわけじゃない。
 それでも、本能寺で明智に討たれた後は、側室のお鍋の方が遺品を送って寺に安置させたそうで。これが、織田信長夫子廟として、墓として残っているのだとか。


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 山門が立派な崇福寺は、実はこじんまりとしたお寺。
 伽藍はそんなに大きくはないけれども、よく掃き清められた境内はさすがです。
 死してなお、脅威な信長公の威光でしょうか?

 崇福寺の拝観料は200円。
 本堂内には、天皇直筆の書や徳川将軍からの色紙、藤原定家、雪舟の掛け軸などなど、お宝満載。

 有栖川宮家「御用札」ってのは、あの、いやいやあちらの有栖川宮家・・・。

 
 本堂天井には、信長の嫡孫、秀信が関ヶ原の戦いで東軍の猛攻にあい落城した岐阜城の床板を使用した天井板・・・血天井があります。
 なんともおどろおどろしい天井板。

 戦死した将兵の菩提を弔うためらしいのですが・・・恐ろしいことです。


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 そんな本堂の裏手には、信長父子の墓が。
 先にも述べましたが、お鍋の方が託した遺品を埋めた廟が正しいです。

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 あの信長の墓にしてはかなりこじんまりとしたもの。
 もっとも、信長の墓ってここだけじゃなくそこら中にあるらしいので・・・。

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 緑に囲まれた雰囲気は、剛の者、信長殿とはあまりにかけ離れたイメージ。

 死んだら静かに・・・していられる方とは思えないけれども。
 
 

大垣城

 岐阜から大垣に移動。
 今日の宿、大垣の街です。
 
 ひとまずホテルに荷物をおいて、夕飯食べがてら、大垣城に出かけて見ました。

 大垣の街もさすがに城下町。
 駅前よりもお城に近づくに従って街が栄えているみたい。

 こういうことを感じるのって、地方を旅する楽しみの一つです。

 
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 駅前からそこそこ歩いてたどり着いた大垣城。
 大垣城が歴史の表舞台に建つのは、やはり関ヶ原前夜。

 当時の城主、伊藤祐盛が西軍についたため、石田三成らが入城し西軍の根拠地に。

 西軍の本隊は、関ヶ原で東軍を待ち受けるべく移動。
 関ヶ原で西軍があっという間に負けた後は、東軍に囲まれて落城。
 その後、石川康通が城主になった後は、戸田氏鉄が城主に。
 以降、戸田氏が明治まで城主を務めたそうです。

 明治以降、残った天守が国宝指定されていたらしいのですが、空襲により焼失。
 現在は、本丸、二の丸が大垣公園として整備され、天守も鉄筋コンクリートで復元されています。

 今日は、タイムアウトで天守閣には入れなかったので外からの見物。

 コンクリート復元とはいえ、結構雰囲気のいいお城。
 ここから石田三成等西軍は、勝利を目指して関ヶ原に移動していったのか。
 
 こんなことになることを予想したものがどれほどいた事か。

110520_172302_大垣市_大垣城


 まぁ、裏切る気満々の連中も多数いたわけで、侍なんてそんなもんかとも思いますね。
 これ以降、江戸期に向けて、侍はドンドン駄目になっていく。
 上ばかり見て、幕府の顔色を伺って・・・。
 今、ときどき侍JAPANとかって聞くと、何を持って・・・って気がするわけです。


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 城内には滝なども流れていて・・・。
 風雅な雰囲気の大垣城です。

 
110520_172028_大垣市_大垣城


 城内にある戸田氏鉄の銅像・・・。
 そもそも、彼が何をした人か・・・。
 それでも、大垣藩10万石の藩主。 
 大藩の祖・・・扱いは地味ですが。
 


居酒屋 芭蕉

 大垣城見物を終え、駅から来る時に目をつけていた芭蕉という居酒屋で打ち上げ。

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 大垣にしては美味しい居酒屋。
 大垣の夜はふけるのでした。
 「居酒屋 芭蕉で一杯」


一日のおしまい

 犬山、岐阜、大垣と、順に追ってきた一日。
 そもそもの目的は、明日の関ヶ原見物。

 今ほど広くないこのあたりの街道を、当時、10万の大軍がひしめいていたはず。
 祭りの前の、淀んだ空気が一面に漂っていたことだろう。

 日本最大の戦いがあった地へ。
 気分は高鳴りますが、全ては明日。

 今日はここまで・・・ホテルに戻ります。

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