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 フランシスコ・ザビエル曰く、「日本国中最も大にして最も有名な坂東のアカデミー」と称された足利学校見物です。




 足利3日目。
 ついに観光のトップメジャー、エースで四番の足利学校を見物します。

 足利最終日、ホテルから車を出して、足利観光の駐車場へ車を移します。
 駐車場は二時間程度無料だそう。
 それ以上になったらどうすればと質問すると、二時間程度は無料ですとのこと。
 つまりは、程度の問題だけれども、無料だよといっている。
 なるほど、これも1つの学習ということで・・・さすが坂東の大学用の駐車場です。


 駐車場は、かなりの混雑。
 かなり朝早かったと思うんだけれども、もうすでにかなりが車で埋まっている。
 この人達が2時間は戻ってこないとすると・・・ここで入れないのは致命傷だ。

 
110504_090645_足利_足利学校


 足利学校は、駐車場からは道路の向こう側。
 歩道橋を越えて足利学校へ。
 上から見る足利学校の風景もなかなかのものです。


 入場料400円が、フラワーパークでもらった割引券で330円に。
 70円負けてもらうために、割引券をずっと持ってるオイラって・・・。

 
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 足利学校の創建は、はっきりとしていないらしいのですが、室町時代の前期にはすでに衰退していたのだそう。
 それでも、日本で最も古い学校という認知は一般的です。

 室町時代の初期には衰退って、それこそ、地元の親分が将軍になってすぐってこと?あまりに悲しい事実。
 室町時代の足利氏は、京のことで手一杯で、地元に目を向ける暇もなかったのだろうか?
 それでも、1432年(永享4年)、関東管領上杉憲実が足利の領主になり、永享11年(1439)現国宝の書籍を寄進。鎌倉円覚寺から、僧快元を招いて初代の庠主(校長)として、復興にあたったそうです。

その結果、フランシスコ・ザビエルによって、「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介されるまでに。

 関東管領の領地であったとはいえ、こんな田舎にこんな施設。
 やっぱり成り立ちは疑問が残ります。

 
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 疑問は残るけれども、今、目の前に広がる足利学校は、非常にゆったりとした敷地に、大胆に建物が配置されていて、落ち着く雰囲気。
 こんな所で学問ができたら、さぞ・・・いやー、結局、オイラは勉強なんてしないんだろうけれども・・・。


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 明治5年には、廃校。
 明治時代の足利の地に対する嫌がらせ(南朝を正当な継承とする天皇家のことですから)は、相当なものがあったと耳にします。
 結局、孔子廟など僅かな建物を残すのみとなってしまったのだとか。


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 方丈や庭園は後の再建。
 ってなると、世界遺産登録を目指しているみたいだけれども、辛くないかなぁ?


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 封建時代の学校って、通える身分は限られていたはず。
 この学校で勉強して、藩のために・・・。

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 こんな立派な学校があった割に、群馬、北関東の地から優秀な人材の名前を聞かないのは・・・・。


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 教育制度の形骸化?
 今も、昔も・・・。



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