上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
にほんブログ村 写真ブログ スナップ写真へ
にほんブログ村 ←ブログランキングに参加しています。1日1回、1クリックの応援お願いします。orz

110503_142607_太田_世良田東照宮・長楽寺_s


 足利の地を回った翌日は、群馬県は太田市に移動しての新田の荘散歩です。







 足利と新田って県が異なるので意識が薄いけれども、実は隣同士なんですね。
 同じ、源氏を発する一族だし。

 共に鎌倉幕府を滅ぼしたまでは仲間でも、その後の人生は大違い。
 方や足利尊氏は征夷大将軍。方や新田義貞は遠い福井の地で流れ矢に倒れる。

 現代でも、足利の郷はしっかりと市として存在しているけれども、新田の荘は群馬県は太田市の一部でしかない。

 歴史的にもおざなりにされがちな新田義貞という人物。
 実力を通り越して愚直なまでの後醍醐天皇への忠臣ぶり。

 でも、彼に寄って鎌倉幕府が倒されたのも事実。

 そんな、新田義貞という人物を育てた新田の荘を回って見ました。



新田義貞誕生の地 台源氏館跡

 足利の街の朝散歩を終え、ホテルで朝食を済ませて。
 足利の駅前ホテルを後にし、新田の荘へ移動します。
 
 カーナビの設定だと約14キロ、30分程度の道のり。
 近い。

 ゆったりとした空気感が残る足利から、スバルのお膝元太田市に入ると空気は一変します。
 スバルの工場のデカさと古さに驚きつつ車は太田の市街地へ。
 
 太田の街は足利よりも発展はしているけれども、昭和の匂いが、味がない。
 ナーンと無く古いけれども普通の街だ。

 なかなか繁華している街中を抜け郊外へ。
 郊外は畑が広がり、その先が新田の荘です。


 走ってきた古河街道に新田遺跡入口の信号があるのでわかりやすい。
 そこを曲って、十二所神社から、案内板に従って車がすれ違うのもやっとと言った路地の先、結構入ったところに新田義貞生誕の地が有りました。


110503_093418_太田_新田義貞生誕の地


 ここは鎌倉時代中期、新田政義が館を構えた場所。
 新田政義といえば、歴史的には新田氏没落の原因となった軽率行動連発の人物。
 地元ではそこそこな人物だったのでしょうか?

 館跡と言いながらも実際は小さい公園程度の場所。
 義貞生誕の地の巨大な石碑が建っているんだけれども、ただそれだけだ。

 手前にあるベンチがチョットいいかんじでしたが。


110503_093007_太田_新田義貞生誕の地


 石碑の文字は、海軍大将加藤寛治のもの。
 近代、忠臣新田義貞の周りにはなんとなく政治の匂いを感じずにはいられない。

 新田義貞生誕の地ってのも、諸説あるようですが、とりあえずここってことにしておきますか。



円福寺・十二所神社 新田氏累代の墓

 狭い脇道を元来た通りに引き返すと円福寺・十二所神社があります。
 ここは、茶臼山古墳のこんもりとした丘を利用した場所。

 とてもいい雰囲気の山門前の空き地に車を止めて参拝です。


110503_094423_太田_園福寺_十二所神社

110503_094725_太田_園福寺_十二所神社


 円福寺は、新田氏四代政義が開基したと伝えられる寺。
 また、政義。
 ヘイ!ユー!、地元じゃ負け知らずってことですね。


110503_095400_太田_園福寺_十二所神社


 福寺本堂自体は、鉄筋作りの近代的なもので、あまり見所はなさそうですが、境内の雰囲気は良い感じです。

 また、円福寺本堂の脇、臼山古墳後円部頂上部分には十二所神社が。
 しっとりとした空気の中に建っています。


110503_095848_太田_園福寺_十二所神社

110503_095940_太田_園福寺_十二所神社


 この境内には、新田氏累代の墓と伝えられる五輪塔群が残っています。
 いやー、その雰囲気もまた特別です。


110503_100839_太田_園福寺_十二所神社

 
 やはりと言うか、参拝の人の姿は見られないけれども、こんな所ならずっといたくなるなぁ。
 とても清らかな気持ちになるところです。


110503_101846_太田_園福寺_十二所神社


 十二所神社って鎌倉にもあるなぁ・・・何か関係があるのだろうか?



新田義貞が住んだ反町館跡

 次に向かうのは、反町館跡。
 新田義貞が青年期に住んだと伝えられる所。

 円福寺・十二所神社からは、3.6キロ程度、7分程度で到着です。

 館は少し城郭風。
 ぐるりと堀が取り巻いています。


110503_103951_太田_反町館跡


 堀の脇の藤棚が見事。
 藤って、やっぱり、こういう雰囲気のものがいいなぁ。
 フラワーパークのってやっぱりやり過ぎな気がするから。


110503_104515_太田_反町館跡


 今は反町薬師照明寺の境内になっている反町館跡。
 新田義貞公古城後の石碑が斜めで悲しい。


110503_105003_太田_反町館跡


 照明寺は、空海を祀っている。
 どこか、四国の遍路でらの雰囲気があります。
 藤のせいなのか、館跡が史跡なためなのか、そこそこの人が訪れている。
 新田の荘としては、かなりの観光名所みたいです。


110503_105055_太田_反町館跡


 新田義貞は、生誕の地からこちらに移ってきたのだそうだけれども、どちらも平坦の地。なんのために移動したんだろう?
 理由はよくわかりませんが。

 

新田義貞旗揚げの地 生品神社

 反町館跡から2キロ程度。
 ソニーのカーナビがおかしな所をさしてチョット迷ったけれども、何とかたどり着いた。

 新田義貞旗揚げ後と伝えられる生品神社。
 確かに目と鼻の先といった所。


110503_113006_太田_生品神社


 元弘三年(1333年)五月八日、新田義貞が鎌倉幕府を倒すために立ち上がったときには200騎程度だったんだとか。
 それで、本当に北条氏に勝とうと思ったのか、死に行くつもりだったのか?
 
110503_115220_太田_生品神社

110503_115337_太田_生品神社


 忠臣新田義貞の旗揚げの地には石碑やら何やら多数あります。
 中には、挙兵650年記念碑は中曽根康弘の字。挙兵の地の石碑は福田赳夫の書のものなど。
 ちょっと、いやらしい。いかにも政治的。
 どちらかを立てるときにはこちらにも・・・みたいな雰囲気が伝わる。
 新田義貞は泣いてるだろうなぁ。


110503_113638_太田_生品神社

110503_115710_太田_生品神社


 神社についたとたん雨が落ちてきた。
 この、しっとりとした神社の雰囲気には、雨がよく似合う気もする。

 
110503_113954_太田_生品神社

110503_113811_太田_生品神社


 境内には、床几塚、旗挙げ塚などなど。
 軍旗を挙げたといわれる朽ちた椚のご神木なども保存されていて見所満載です。
 新田義貞の銅像があったはずなんだけれども、なくなってたなぜ?


110503_114105_太田_生品神社

110503_114412_太田_生品神社


 この地から200騎程度で立ち上がった新田義貞という人物。
 計算が効かない男だったことだろう。計算ができないが正しいのか?


110503_114955_太田_生品神社


 そんなことを思っていると、涙が出そうになった。


 
昼飯 ラーメン

 ちょうどいい時間になってきたので、昼食をとることに。
 生品神社のそばの”ざくろ”というラーメン屋さんで。


110503_123002_太田_ざくろ_特性煮干ラーメンとニミ炙りチャーシュー丼


 ちょっとおしゃれ系のラーメン屋さん。
 そんなさくろさんのラーメン、詳しい模様はこちらから。
 「ざくろ 群馬で食べるおしゃれ系のラーメン」



江田城跡

 ラーメン食べてお腹いっぱい。
 ざくろから、約4キロほどのところに江田城跡があります。

 国指定史跡の一つ。
 駐車場が見当たらなかったので、路駐。というか、空き地のようなところに車を止めての見物です。


110503_124859_太田_江田館跡


 得川頼有、その後、江田行義、矢内四郎左衛門と主を変えて・・・。

 最初の主、得川頼有は、新田義重の四男、義季の子。
 この得川が、のちに徳川家康によって、徳川氏・松平氏の遠祖という扱いにされている。
 眉唾、眉唾。

110503_125107_太田_江田館跡


 江田行義も新田一族。新田義貞の鎌倉攻めに参加し、極楽寺坂口の大将だったとか。
 激戦が伝えられる極楽寺坂口の戦い。
 結局、極楽寺坂口は攻略できず、稲村ヶ崎での新田義貞の伝説を作ることになるんだけれども・・・。

110503_125259_太田_江田館跡


 鎌倉の前北条を打ち負かした新田の荘も、戦国期には後北条の勢力下に。
 1584年、北条氏が金山城を攻める際、金山城攻撃の拠点としたのだとか。
 因果転生ですね。
 

110503_125149_太田_江田館跡


 城跡というか、館跡。
 それでも、土塁や空堀がある。が、これは、鎌倉期ではなく戦国期の様相なのだろうなぁ。
 
 何って無い、ただ四角い土地を土塁が回っているだけの場所。
 歴史の雰囲気だけは伝わります。

 戦いがあり、取り取られした城跡。
 今はすっかり田舎の風景の中ですが。 
 


総持寺 新田氏館跡

 江田城跡から5キロ。車で10分程度のところに総持寺(国指定史跡 新田荘遺跡)があります。

110503_131357_太田_総持寺


 ここは、新田氏の総領の館があった場所だそう。
 総領って・・・。
 義貞じゃないのか?
 正直新田の荘ってどこが栄えていたんだか掴みどころがない。
 館、移動しすぎ。
 天皇への気持ちはあんなに一途だったのに。


110503_131609_太田_総持寺


 新田義貞が北条高時からの重税の使者を切って死者にしてやったのがこの場所だとか。
 この事件から、鎌倉幕府転落が始まったわけです。

 江戸時代には真言宗の学問所で、36ヶ寺もの末寺があったそうなんだけれども、今はただ普通のお寺。
 本堂の縁側がコンクリートっていうくらい趣に欠ける。


110503_131526_太田_総持寺


 鐘楼だけば妙に見事。


110503_132136_太田_総持寺


 新田義貞の木造があるらしいんだけれども、見当たらない。
 本堂内のものがそうなのか?説明すら無い。

 今は、本当にただの寺院だ。



歴史公園 (東照宮・長楽寺・新田荘歴史資料館)

 総持寺から目と鼻の先に歴史公園というものがあります。


 東照宮・長楽寺など、趣あるものがあるんだけれども、これは新田の荘でも江戸時代の歴史の遺構。
 まぁ、寄るはよりますけれども、そういう意味では時代的にチョット違います。


 そんな歴史公園。
 まずは東照宮から見ていきます。


110503_134053_太田_世良田東照宮・長楽寺

110503_134205_太田_世良田東照宮・長楽寺


 徳川家康が駿府で75歳で死亡した後、一時久能山に葬られた。
 遺言により、二代将軍秀忠が、日光に社殿を造営して遺体を移します。

 秀忠が造営した日光東照宮を、何が気に入らなかったのか三代家光が大改築。
 奥社の拝殿と宝塔を徳川氏縁の地、世良田に移したのが始まりなのだとか。


110503_134719_太田_世良田東照宮・長楽寺

110503_134741_太田_世良田東照宮・長楽寺


 世良田東照宮っていうくらいだから、江戸時代の繁栄は言うに及ばずでしょう。


110503_135000_太田_世良田東照宮・長楽寺

110503_135420_太田_世良田東照宮・長楽寺


 300円で拝殿どころか本殿までも見ることができる。
 日光から移築の拝殿は重厚な雰囲気。見事なもの。
 家光は何が気に入らなかったんだろう?

 確かに、今の日光の東照宮から比べると、チョット重厚感が足りない気がしますが。


110503_142607_太田_世良田東照宮・長楽寺


 東照宮の横、歴史公園の敷地内に長楽寺があります。

 長楽寺は、承久3年(1221)徳川氏始祖の義季(よしすえ)が開基。
 臨済宗の開祖・栄西の高弟、栄朝を開山として創建されたのだそう。

 徳川家康が江戸に入府すると、徳川開祖のお寺ですから、長楽寺はますます重要視されるようになり、天海が住職になるという力の入れよう。
 でも、おかげで天台宗に改宗させられちゃったりってこともあったそうだけれども。

 末寺700余ヶ寺を擁する大寺院も、今は静かな歴史公園の一寺でしか無い。


110503_143012_太田_世良田東照宮・長楽寺


 しかも、本堂は新しくてどうってことはない。
 歴史公園ってことで広大な境内は見応え充分ですが。


110503_143352_太田_世良田東照宮・長楽寺

110503_144727_太田_世良田東照宮・長楽寺


 開山堂などは怖いくらいの静寂の中に。
 新田家類歴の墓があるけれども、こちらは石の雰囲気が新しくってつまらない。


110503_140621_太田_世良田東照宮・長楽寺

110503_144448_太田_世良田東照宮・長楽寺


 そのかわり、徳川義季累代の墓 はいい雰囲気。

 このあたりから、新田氏が徳川氏に取って代わられる感じが伝わります。
 

110503_140921_太田_世良田東照宮・長楽寺

110503_144916_太田_世良田東照宮・長楽寺


 新田荘歴史資料館の見学はパス。
 資料館前の新田義貞の銅像は大きく立派でした。


 
明王院

 歴史公園から3キロ程度。
 太田市の南のハズレ辺りに、明王院はあります。

110503_150236_太田_明王院


 『新田触不動』として知られるお寺だそう。

110503_150528_太田_明王院


 新田義貞が鎌倉攻めを思い立った際、不動明王が山伏に化身して越後一帯の新田氏一族に、義貞挙兵の報を一夜のうちに触れて歩いたと伝えられている。
 そんな下りを、吉村太平記で読んだ気がする。


110503_150827_太田_明王院


 でも、山伏に化けたと言われる三門の門番は修理中!
 霊力も時間の流れにはかなわないみたい。


110503_150839_太田_明王院


 境内には、千体不動塔という、ピラミット型の供養塔がある。
 これがなかなかの迫力。
 刻まれた不動明王がちょっと怖いです。

110503_150946_太田_明王院


 何となく、ここで雨が落ちてきた。
 観光もここまでかな?



おしまい

 今はただ、太田市の一部になっている新田の荘ですが、なかなか趣きのある雰囲気の良い感じで歴史的なものが残っています。
 
 天皇に楯突いた足利氏よりも、忠臣新田氏を明治以降の政府が重く置いたからだろうか?
 江戸時代だって、新田氏を祖としたい徳川家が厚く保護した様子だし。

 近代は、太田市の一部ということで、開発から取り残された感もあるけれども、それがまた、いい雰囲気を残す理由になっているのかもしれない。

 鎌倉幕府を倒して以来、パットしない新田氏の郷。
 宿敵の室町時代には結構暮らしにくいこともあったことだろう。
 そこを耐え忍んだからこそ、徳川時代には・・・。

 あまり期待をしていなかったけれども、見所満載で、なかなかのものでした。
 
にほんブログ村 写真ブログ スナップ写真へ
にほんブログ村 ←ブログランキングに参加しています。1日1回、1クリックの応援お願いします。orz

Comment:0 | TrackBack:0
Secret

TrackBackURL
→http://yokohamanote.blog101.fc2.com/tb.php/1571-240fcc85
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。