天守閣が消失した後は、江戸城の天守閣の殻割りも果たしていた富士見櫓。
確かに、そこいらの天守閣よりは風格がある。
本来は、名称からすると、ここから富士山を愛でるための櫓だったのだろう。
晴れた日には見えたんだろうなぁ、江戸時代には。
富士山と、桜を愛でながら・・・なんて贅沢な。
まぁ、日本で一番贅沢な方の生活の場だったわけですから。
こちらの桜もやはり染井吉野ではないみたい。
すこし葉桜。
広大な城内。時期を合わせるのって大変です。
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