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100925_104219_掛川城

 ついこの間まわった徳川家康の足跡をたどる旅。
 設楽ヶ原を回って・・・これから怒涛の勢いで日本に名を広げていく。
 ってところで終わったんだけれども、今回は一気に静岡から東照宮へ。
 最終章をめぐります。







出発

 03:30起床。
 せっかくの出発の朝だというのに、えらい寒い。
 あまりの寒さに目が覚めて・・・。
 汚い話だけれども、腹痛で下痢です。
 まるで、三方ヶ原の負け戦で浜松まで逃げ帰ってきた家康の心境。
 まぁ、いつも体調万全を期待できるような年齢でも無し。
 これはこれで・・・。

 


差し出された城 掛川城

 06:20出発。
 東名高速も、わりと空いている。

100925_075446_足柄SA_中華鳥粥

100925_092841_牧の原SA_桜エビのかき揚げ蕎麦


 足柄SA、牧之原SAと休憩を入れ、最初の目的地、掛川城へ向けて東名をひた走りです。

 朝から続いていた小降りの雨は、冨士川あたりですっかり快晴に。

 10:10 掛川城の大手門Pに到着です。
 
 横浜から4時間弱。
 東名は短時間で距離が稼げるところがいいです。
 中央高速なんて、高速道路に乗るまでで1時間以上平気でかかってしまいますから。


100925_102303_掛川城


 大手門Pに車を止めて、掛川城のまずは大手門を見物。
 
 大河ドラマ功名が辻放送時以来の掛川城。
 大手門は5万石強の大名の城にしては立派すぎる感じがします。山内一豊が設けたものを復元したのだとか。
 まぁ、東海道を守るためには、これくらいの門がないと、押さえがきかないかも知れませんね。

 門の肩から見える天守閣が、なんとも美しい。
 広大なお城の敷地を彷彿とさせてくれます。


 大手門を過ぎ、川沿いに天守閣へ。
 土産物屋なども並び、なかなか賑やかな城下町。

 ただ、雰囲気は地方都市感は否めません。
 高い建物が見当たらないから・・・おかげで天守閣が映えるんですが。


 大河ドラマ功名が辻の放送時には、本丸に資料館なども出来て、観光としても華やかだったんだけれども、放送から何年経ったかな?すっかりあの喧騒も夢の跡、静かなお城の雰囲気は、戦国の昔を思い起こさせてくれます。
 

 平安時代に、守護大名だった今川義忠が、家臣の朝比奈泰煕に築城させたと言われる掛川城。
 今川義元が桶狭間で織田信長に討ち取られた後、武田、徳川によって攻められた今川氏真は、駿府館を捨てて、掛川城に逃げこんだそう。
 徳川家康に攻められた掛川城は、硬く守ってなかなか落ちなかったそうだが、氏真は身の安全の保証と引換に開城。氏真は北条氏を頼って小田原に落ち延び、以後、徳川方の城になった。
 三方ヶ原の戦い前後、武田と徳川の摩擦地帯になったわけだけれども、ついに一度も武田に落ちることはなかったそう。

 徳川家康が、豊臣秀吉によって関東に移されると、功名が辻の山内一豊が5万石強で入城し、大大名への足がかりとなっていくわけです。

 東海道を守る城ということで、江戸時代には譜代大名がこの地を任されたのだとか。

 
100925_103924_掛川城


 そんな掛川城。
 天守閣の再建は1994年。
 城門から、本丸までは無料です。

 復元された天守閣は300円。
 青森ひばによる完全木造復元。
 10億かかったって説明員の人が言っていた。

 この規模の、この天守を今、再現させると10億か・・・。
 高いといえば高いような、そんなもんかと思えばそんなもんか。
 お城を作るとなると、土木工事に櫓に塀、門。
 10倍かかるのか20倍かかるのか・・・。
 一国一城の主になるって大変だなぁ。


100925_104044_掛川城


 掛川城の天守閣の再現に際しては、山内一豊が掛川城に似せて建てさせた高知城を参考にしたそう。
 パクリをパクって元の鞘。
 確かに高知城とよく似ている。

 ポツンポツンと居る観光客。

 混雑を感じずに天守閣を観光できた。

 低層の街が続く掛川の街。
 天守閣からは街が一望できます。

 気分はすっかり山内一豊気分。

 でも、関が原の合戦に際しては、東軍に対して、城を明け渡してのごますり行為。もっとも、それで土佐一国を手にすることになったんだけれども。

 出世のために、明け渡されちゃうような城。
 って考えると、立派な天守も大手門も泣いているような気がするなぁ。 

 そうやって、徳川様の威光を知らしめたってことの貢献は、やっぱり土佐一国分なのかも知れないけれども。



掛川城御殿

 掛川城の二の丸には、掛川城御殿が残されています。
 掛川城御殿ってのは、城主の公邸と藩の役所を兼ねた物。
 1854年の大地震後の再建で、1980年に重要文化財に指定されているのだとか。

100925_110634_掛川城_御殿


 御殿は7棟の書院造りというらしい。
 藩士が政務を行う奥で藩主が暮らしていたって・・・なんとなく、騒々しそうって想像してしまう。

 プライバシーなんて存在しない時代だから、まぁ、そんなモノなのかも知れないけれども、藩主は政務から遠いところで庭なんて眺めながら呑気に暮らしていたのかと思ったら、そうでもないみたい。


100925_110309_掛川城


 5万石強の掛川藩の政務って、どれほどのものだったんだろう?

 当時の米価から、1万石って4億円弱だそう。
 1万石って言ったって、石高だから、藩の取り分は、6分とか5分とか。
  
100925_111555_掛川城_御殿


 このうちの半分が人件費で、それ以外に、武器買ったり、橋かけたり、道路やお城直したり・・・参勤交代したりってすると、藩主の取り分ってほぼ無かったりするそうだ。

100925_111233_掛川城_御殿


 大名、大名なんておだてられても、生活ってあんまり楽じゃなかったのね。

 まぁ、食べるものだけは、さすがに困らなかっただろうけれども。

100925_112237_掛川城_御殿


 その計算、支払いなども、この建物で行っていたのか・・・。
 銀行のない時代、全部現金でのやりくりだとすると・・・想像できないなぁ。




行きはよいよい 久延寺

 掛川の街でうなぎを食べて、微妙な満足感。

 そのまま、今日の宿泊地、静岡に向かおうかと思ったんだけれども、途中、小夜の中山峠に寄ることに。


100925_123401_掛川_久延寺


 小夜の中山峠は、箱根、鈴鹿と並ぶ東海道の難所。

 掛川からは日坂バイパスを使えば15分程度なんだけれども、距離は短いが坂道は辛い。細いくねくねとした茶畑の中の道を、ローギアでも喘ぎながら登る車。

 旧道ということで、道が整備されていないから、たぶん昔の旅人もこんな感じで行き来していたんだろうなぁっていう雰囲気は抜群です。

 地図を見るとわかるんだけれども、東海道本線の小夜の中山峠の巻き方が尋常じゃない。
 箱根も昔は御殿場線で巻いていたけれども、トンネルが開通してかなり短縮されたが、ここは昔のまま。トンネルを抜くほどの経済効果はないってことか?

 この迂回のおかげで菊川市なんてものが発展したんだろうけれども。


100925_123230_掛川_久延寺


 そんな、小夜の中山峠の頂上には、久延寺というお寺があります。
 徳川家康が、長篠戦いで武田氏を破った後、その勢いで武田の諏訪原城を攻めたときには、本陣にしたという寺。
 その後もなんども、家康はこのお寺を訪れていたのだとか。
 っていうか、東海道をうろうろすれば、いやでもここによるだろう。ってくらいのお寺。
 こんな峠の山道に、よくぞまぁ、こんな建物を建てたものです。


100925_123436_掛川_久延寺


 後に徳川家康は関東に移って、掛川の地は、山内一豊が治めますが、徳川家康上杉征伐の折には、大阪から会津へと向かう徳川家康をこの境内に設けた茶亭でもてなしたのだとか。
 
 会津征伐。
 行きはこのお寺でもてなした徳川家康を帰り(関ヶ原へと向かう途中)には、掛川城を城ごと明け渡して接待ぶり。
 おかげで土佐24万石ですから、一豊殿もなかなか運がお有りで。

100925_123516_掛川_久延寺


 今では、ほとんど人が通ることのない小夜の中山峠。
 今も、宅配便の車が1台、目の前を通り過ぎただけ。

 世間から完全に取り残された、茶畑の峠です。

100925_124041_掛川_久延寺


 そうそう、静岡といえばお茶の産地ということになっているけれども、それって、幕末以後の話。
 徳川家康とか、山内一豊とかのころって、お茶の茶の字もなかったはず。
 そうすると、この小夜の中山峠って、不細工というか、なーんもない峠道だったんだろうなぁ。

 人口だって今と比較にならない程度しかいなかった日本。

 人っ子ひとり・・・そんな遠げ道だったことでしょう。
 
 


世界最長 蓬莱橋


 小夜の中山峠を下って、大井川にかかる蓬莱橋にやってきました。

 島田市にかかる蓬莱橋。

 世界最長の木造橋として有名です。


100925_131811_島田_蓬莱橋

100925_132019_島田_蓬莱橋


 圧倒的な存在感の木造橋は、大河ドラマ「花の乱」のオープニングにも使われていて、時代的な雰囲気はバッチリなんだけれども、完成は明治12年なのだとか。

 そりゃ、箱根八里は馬でも越すが、越すにこされぬ大井川。
 江戸時代に大井川に橋なんて掛かっていなかったはずですから。

 
100925_131939_島田_蓬莱橋


 この橋を通行するには、端を通っても真ん中を通っても、箸を持っても、往復大人100円。
 対岸に何も無いから戻ってくるだけなんだけれども、この雰囲気にかなりテンションが上がるんです。

 で、実際結構な観光客が訪れている。
 掛川城も、御殿でもこんなに人がいなかったのに。
 結局この辺りでは最もメジャーな観光地なのか。
 確かに、一度は行ってみたいなぁって思うのなら、掛川城よりもこちらかも・・・。

100925_132114_島田_蓬莱橋


 ただ、全長900mに迫る木造歩道橋。
 全長っていう表現は分かりにくいけれども、つまり、片道900mってことで、行ったら帰って来なければならないのは、アタリマエのこと。
 結局2Km近くを歩かされる。お年寄りには不向きな観光施設かも。です。

100925_133729_島田_蓬莱橋



 橋の長さが900mあるってことは、それはそのまま川幅ってこと。

 この大井川に橋をかけなくても良かったって・・・今となっては考えられない。
 物流なんてありえなかったってことか。

100925_134255_島田_蓬莱橋


 街道沿いに譜代大名を配置して、峠を固めて、川に橋をかけずに、西からの敵の攻めに万全の準備をしたはずの徳川幕府も、維新の薩長軍に対してはなんの障害にもならなかったってのも、おかしい話。
 
 なんだか、色々と、思ったとおりにならないものですね。


100925_134419_島田_蓬莱橋


 かなりの風の中、2Kmも歩かされてクタクタ。
 
 この後、静岡のホテルにチェックインして荷物を置いて、東静岡のガンダム見物に出かけたんですが、それは家康殿とは完全に関係ないため、また別な期会に。

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